六日町簡易裁判所 昭和35年(ろ)6号 判決 1960年8月26日
被告人 高橋良太郎 外一名
主文
被告人笛木竹市を罰金三千円に処する。
右罰金を完納し得ないときは金五百円を一日に換算した期間右被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中国選弁護人落合正隆に支給した分は被告人笛木竹市の負担とする。
被告人高橋良太郎は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人高橋は昭和二十年東京の戦災で生活の本拠と妻を失つて肩書住居地に引揚げて農業により生活を続けて来たものなるところ、昭和二九年これ又夫に先立れて金物の行商等をして細々生活していた柏倉コメ(当年四七才)と相識り、やがて同人と内縁関係に入り南魚沼郡塩沢町大字塩沢九三四番地にある同人方へ足繁く出入りして今日に至つた。一方被告人笛木は右の柏倉コメと従兄妹の関係にあるものなるところ、同人も又昭和三二年に妻に先立たれて以来、右コメ方へ時々出入りし同人方へ多少の食料を運んだり大工という手に覚えた技術でコメ方の流し場や屋根の修理をしてやつたことを理由に同人と関係をもつようになつたが、柏倉コメとしては被告人高橋と既に関係がある以上更に被告人笛木と関係を続けることを好まずなるべく同被告人を遠ざけようとして来たが被告人笛木の方で遠ざからず困つていた。そこで右柏倉コメとその娘愛子(当年一七才)は被告人高橋と相謀り、笛木に同人方への出入りを断るべく話をつけようということになり、昭和三五年三月一一日朝、コメが有線放送を使用して被告人笛木を柏倉コメ方へ呼びつけた。同日午前九時頃被告人笛木は呼ばれるままコメ方に至り同家の奥、座敷兼茶の間に入り炬燵を前に腰をおろすや、丁度被告人高橋が自分の家で食事を終えてコメ方に帰つて来て、笛木に対し「竹よく来たな、この前預つた話もあるしその他の話もある。お前の家では子供もいることだからこちらへ呼んだんだ」といつて今後この家への出入りを断らうとする言葉を切り出したところ、被告人笛木は、これらの三人が同被告人を呼びよせ何らかの手荒な行為に出るものと一人我点をし、機先を制する積りで立上つて高橋の方へ突掛つて行つたため、高橋又これを押し返し一旦部屋の隅に追いつめた後、両人は互に押し合い組み合つて隣の板の間を経、障子を倒して組合つたまゝ玄関外の土間に倒れ落ち、更に戸外の道路上に至つて被告人高橋が手を放すまで互にもみ合いの争斗を続けたが、その間被告人笛木は右の土間及び道路上に於て傍にあつた石ころで被告人高橋の顔面前額部後頭部等を数回殴打し、その顔面に噛みつく等の暴行を加え、よつて同人に加療約二週間を要する前額部の裂創、挫創、左右頬部に擦過傷等の傷害を与えたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人笛木の判示所為は刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲内で同被告人を罰金三千円に処し、刑法第一八条により右罰金を完納し得ないときは金五百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文の通り判決する。
(無罪の理由)
被告人高橋に対する本件公訴事実は「被告人高橋良太郎は昭和三五年三月一一日、南魚沼郡塩沢町大字塩沢九三四番地柏倉コメ方で同女(四七年)及び同愛子(当一六年)と三人で笛木竹市に対し、これまでの関係を精算させるため笛木を呼寄せて話をつけることを相談し、有線放送で同人を呼び出した上、同日午前九時頃、右柏倉コメ方に来所し、同家座敷炬燵場にいた笛木竹市に対し、「竹よく来たな、貴様に喧嘩を売られて預つてあるが、貴様の家に乗込んで子供の前で喧嘩するのも気の毒だから今日ここへ呼び寄せたのだ、貴様のお蔭でここの家はめちやくちやにされようとしていた。今日は勝負をしてやる」と云いがかりをつけて右笛木が炬燵場から立上るのを見て手で同人を後の障子戸に突き、暴行を加え、更に右笛木と組合いもつれながら同人に押されて同家入口附近から玄関外に共倒れとなつたのであるが、同所に於て右笛木から頬を噛みつかれ、玉石を以て顔面を殴打されるや同人をその場に組伏せ「この野郎生かしておけない」等と怒号しながら手挙を以て右笛木の顔面頭部等を十数回殴打し暴行を加え、因て同人に対し全治まで約一週間の治療を要する顔面擦過傷、後頭部挫創の傷害を負わせた」というにある。
而して当裁判所は当公廷に顕れた諸証拠によつて冒頭掲記の如く、当日被告人高橋がコメや愛子と相談して被告人笛木を呼寄せたこと、高橋が笛木に「竹よく来たな、この前預つた話もあるし、その他の話もある、お前の家では子供もいることだからこちらへ呼んだんだ」という趣旨のことを言つたこと、この言葉や不在だと思つた愛子も家にいる雰囲気を見て、高橋から何か自分に手荒な行為をされるものかと早我点をした被告人笛木が機先を制する積りで高橋に突掛つて行つたため、高橋がこれを押し返して取組み合いとなり、その後両人が玄関に倒れて高橋が笛木から石で殴打されたり頬を噛みつかれたりした後、更に表通りへ出て、今度は高橋が笛木の上に馬乗りとなつて同人を殴打したこと、とにかくこのときの争によつて笛木はその顔面、後頭部に擦過傷、挫創を受けたこと等の各事実を認められるのであるが、検察官が最初高橋が笛木にいつた言葉を「言いがゝりをつけ」「笛木が立上るのを見て同人を後の障子戸に突いて暴行を加えた」としていることは当裁判所の信用しないところであつて、当裁判所は笛木の方が機先を制する積りで先きに手を出したため高橋がそれを防禦して障子の方へ押し返したものであつて、高橋の方で多少こんなことを予期し得た事情があつたとしても、笛木の行為は急迫不正の侵害に相当するものと認める。又被告人高橋がコメとこともなく往来している中へ笛木が入つて来て、コメから出入してくれるなといわれているのに、執拗に同人から離れず無理に関係を求めたり暴力を揮つたりしたため、三人がその出入りを断るため笛木を呼付け交渉することは平和な生活を維持するため当然許されることであつて、これを目して言いがかりだと言つたり、高橋の方で喧嘩、暴行を挑んだと見るべきではないし、それを裏づける充分な証拠はない。又争いといつても僅か数分間の出来ごとで、当時の笛木の傷は高橋の傷に比べて極めて軽く、本人自らもいうている如く僅かな擦過傷と挫創で大して痛みもなく、医師の手当も受けずに帰つた程度であること、その擦過傷や挫創は表へ出て高橋が馬乗りになる以前の段階でも発生し得た可能性のあること、又たとえこの時高橋の殴打で発生したものであつても笛木より噛みつかれたり石で殴打されたりして血みどろになつた高橋が攻防相交えて多少積極的な攻撃があつても、それは通常人の自衛本能から来る防衛行為であつて、かゝる場合相手方の攻撃に任せておけとか、平然として処置せよということを通常の人に期待できることではない。両被告人を比較すると、高橋は曽て軍隊生活の経験もあつて体力その他の点で笛木より優れているに拘らず、却つて重い被害を蒙つていることは、高橋が最後の場を除いては積極的な攻撃に出ず、向つて来る笛木を押し返し、追出さうとしたに止まつたと考えられる公算が大きいのであつて、本件は形式的には笛木に擦過傷と挫創を与へたものであるが、これは被告人高橋が急迫不正の侵害に向つて為した己むを得ざりし防衛行為であり、この程度の行為にすら出でざるべきを期待することは一般に不可能であつて、結局違法性なきものに帰する。よつて刑事訴訟法第三三六条によつて無罪の言渡をする。
(裁判官 菊地博)